大分ベンチャーキャピタル株式会社 企業支援部 サブマネージャー
中小企業診断士 松野 寛子さん

別府で生まれ育ち、地元の進学校に通っていた松野さん。ふと訪れたAPUのオープンキャンパスで、今までと違う価値観に触れ、一瞬で入学を決めたといいます。そんな松野さんが現在働いているのが、地元の第一地銀である大分銀行。現在は関連会社である大分ベンチャーキャピタル(株)という投資コンサルティング会社に出向し、APUで身に付けた積極性と経営学の知識、そして地元愛を胸に、大分の活性化に向けてパワフルに働いています。
私、生まれも育ちも、大分・別府です。
だから、APU開学以前の別府の街と、APU開学後の別府の街の差が、肌感覚で分かるんです。
APUができる前、1990年代の終わりまで、別府の街で目立つのは、どちらかというとご年配の方々でした。温泉に旅行にいらっしゃるのも、どちらかといえば中高年のひとたち。子どもだった私は、自分の街はおじいちゃんおばあちゃんが多いなあ、とぼんやり思っていました。
2000年、APUが開学して、別府の街ががらっと変わりました。中学生だった私の目から見ても一目瞭然でした。一気に日本と外国の若者たちが増えたからです。
それと反比例するように、街を歩くおじさんの格好が変わりました。例えば、かつては上半身裸のまま桶を持って温泉に通うおじさんの姿をよく見たんですけど、そういう方、減りましたね。やっぱり、恥ずかしくなったんでしょうか(笑)。
飲食店街の様子も一変しました。それまであまりいなかった若いアルバイト(半数は外国人!)が増えたので、お店の雰囲気が若くなったんです。さらに大学に近い亀川の地域はマンションがどんどん建ちました。それまで田んぼが広がっていたところが、なんだか学生街みたいになったんです。
大学生、しかも海外からの留学生が街を歩くようになって、子どもの目から見ても街に活気が出てくるのが分かりました。
とはいうものの、APUができた当時、中学生だった私は、「あ、別府に新しい大学ができたんだね~」というくらいで、進学先としての興味は持っていませんでした。高校は地元の進学校。高校生になっても、大学はたぶん地元の国立大学に行くのかな、とぼんやり思っていてAPUを意識することはなかったんです。
ところが、高3の夏休み、APUで高校生向けのオープンキャンパスが開かれることを知り、何の気なしに1人で足を運んだんです。
衝撃を受けました。いったいここはなんなんだ!と。
それまで進学校にいたので、ひたすら勉強して偏差値を上げるのが第一目標でした。周囲の雰囲気もそんな感じだった。
ところが、オープンキャンパスで知り合ったAPU の大学生たちは全然雰囲気が違った。
オープンキャンパスも、座って説明を聞く時間なんてほんの数分。あとは、その日初めて会った留学生のお兄さんお姉さんや、初めて知り合った他の高校の生徒たちと一緒にゲームをしたりして、すっかりAPUのオープンな空気に魅せられちゃいました。受験前のピリピリしてる自分がなんだかバカバカしくなっちゃって。
面白い! 4月から自分がAPUに通っているイメージがはっきり浮かんできました。国立大から志望校を変更し、APU一本で受験することにしました。
首尾よく合格したのはいいんですが、大学に入って最初に感じたのは疎外感でした。
周囲の半分以上が留学生で、満足に会話もできない。それに、当時はまだ地元の高校からもAPU にはあまり進学していなかったこともあり、地元の友達は誰もAPUに来ていなかったんです。5月くらいまでは、親にも「友達ができない」とこぼしていました。要するに「ぼっち」だった。
結局、最初、私は受け身だったんですね。もともと人見知りするタイプで、知らない人には自分から話しかけられない。
このままでは、APUで友達はできない。ずっと独りだ。
それに気づいてからは、勇気を奮って、英語のクラスで一緒の子に話しかけたり、友達の友達を紹介してもらったりして、徐々にですが友達を増やしていきました。
私は6歳くらいからバレエを習っていたので、バレエサークルに入り、留学生たちと一緒に踊るようになったのが転機となりました。持ち回りでレッスンの指導役を担うことも。拙い英語でバレエを教えていくうちに、みんなと打ち解けることができた。並行して英語力も伸びました。そうしているうちに、秋ごろには自分の居場所ができたように思います。
大学時代のバレエサークルのメンバーと一緒に
また、大学2年の秋にはミュージカル劇団の旗揚げも行いました。ミュージカル素人の学生が、性別も国籍も肌の色も超えて、演劇×歌×ダンスの総合エンターテイメントを作りたい!という思いだけで立ち上げた劇団。題材に選んだのは、同じアメリカ人でありながら出自の違う2つのギャング団が抗争を繰り返す「West Side Story」。劇団旗揚げの趣旨とぴったりだと思いました。セリフは日本語、歌は英語で公演しました。私はダンスの振り付けとダンス指導担当。制作期間2ヵ月半で、素晴らしい公演が実現し、大きな成功体験となりました。
こうした課外活動においてはAPU側から手厚い補助をもらいました。自分たちがやりたい!と発案したことに対して、強力にバックアップしてもらえるのもAPUの魅力だと思います。
「West Side Story」公演を成功させた仲間と記念撮影
ちなみに私は一般試験を受けて入学したのですが、私のような試験受験の学生と、AO入試の学生は、同じ日本人学生でもずいぶんタイプが違うなと感じました。AO入試で入った学生たちは、自信満々で、発信力も高い。一緒にいると元気をもらえるんです。
APUに入って、座学の勉強だけでは、人間性を高めるのが難しいことに気づかされました。いかに自分のことを表現できるか、ブレない軸を持っているか。
そもそもAPUの授業自体が、知識だけでは乗り切れないタイプの内容が多いんです。ディスカッションやプレゼンテーション、パソコンを使って作品をつくるなど、知識を吸収した上で自分からの情報発信が求められる。しかも個人単位ばかりでなく、グループで議論し、グループで発表する機会が多い。例えば、その日会ったばかりの人同士でグループを組み、プレゼン資料をつくって発表する。もちろん、グループ内には日本人だけでなく留学生が混じっている。こうしたプレゼン重視の授業が週1単位でありました。
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田舎で世界を学べば、 「和の心」を持った国際人になります |
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「アジア太平洋」を丸ごとキャンパスに そこから未来のリーダーを輩出していく |
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APUは日本の中の「世界」でした
だからイノベーションが生まれ続けるんです |
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ため池にクヌギ林にシイタケにサンショウウオ! APUパワーで、大分・国東半島を世界農業遺産へ | |
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