富士通株式会社 人材採用センター
バリカ ミハイ ダニエルさん

富士通の採用担当として活躍し、実に流暢な日本語を操るルーマニア人のバリカ ミハイ ダニエルさんは、APUの卒業生です。採用チーム唯一の外国籍社員として、富士通のグローバル化を人事面から促進していこうと、さまざまな施策を展開しています。そんなダニエルさんは、APUに入る前まで「日本にはサムライがいる」と信じていたそう。そこから日本文化を理解し、日本企業で働きたいと思うまでに至った経緯を語っていただきました。
2004年、ルーマニアの高校を卒業してルーマニアの大学に入りました。新入生として意気揚々と登校したのに、大学側の教育カリキュラムは、「課題図書を読んで自分で勉強してね。テストのとき以外は授業に来なくてもいいよ」というスタンス。拍子抜けしました。それじゃあ、家で自学自習するのと変わらないじゃないか! せっかく大学に行くからには、もっとアクティブに、実体験から学びたい。
国内の大学じゃ、駄目だ。そう思ってすぐに留学先を探し始めました。
留学するのは、自分の力を試し、世界がどれだけ広いか知るため。だから、あえて近隣のヨーロッパの大学は候補から外しました。となると、アジア。アジアの大学を調べていた時に、インターネットでAPUを見つけました。
その時は、日本という国についてほとんど知識がありませんでした。なにせまだ、サムライがいると信じていたくらいですから(笑)。イギリスの作家ジェームズ・クラベルの『将軍』のテレビドラマや映画『ラストサムライ』の影響です。一方で、トヨタなどの世界的な企業がある国だ、ということも知っていました。まさに、謎の国、不思議の国ジャパンだったわけです。
日本に対する知識ゼロのまま、APUの留学手続きをとったところ、首尾よく留学許可が下りました。
2005年の9月、APUに向かうために、飛行機で福岡に降り立ちます。
ショックを受けました。
サムライがいないっ!
誰もちょんまげを結ってない!
町が大きい!
ルーマニアの何百倍も経済発展している!
僕の日本留学は、脳内イメージの大幅是正からスタートしました。
来日した当時、日本語はまったく話せませんでした。実は、英語も怪しかった。ルーマニアでは、英語よりフランス語のほうがメジャーな外国語。英語を学ぶ人はわりと少ない。僕もずっとフランス語を勉強していました。
1年目はまず英語開講のクラスを取っていました。英語とルーマニア語は似ているので、勉強する上でさほど苦労はしなかったんです。
大変だったのは、やはり日本語の習得です。毎日2時間の日本語の授業を受けて、猛特訓しました。とりわけ難しかったのは漢字です。私には文字というよりきれいな絵のようにしか見えなかった。その絵のかたちに意味がある、いくつかの読み方がある、ということを理解するまでに時間がかかりました。でも、まったく知らない異国の地に来たからには、絶対にそこの言語を習得しないと留学した意味がない。必死に学びました。
学部は国際経営学部(APM)で、ヒューマン・リソース・マネジメント、人材と経営について勉強しました。先生もものすごく熱心で、グループワークが多かった。僕がルーマニアの大学で感じていた物足りなさをすべて埋められる授業でした。
いろいろな国籍の学生がいるので、1つのテーマでもさまざまな切り口からツッコミが入ります。授業を受けるたびに、「そういう考え方もあったのか」「その視点は自分にはなかった」と、自分の世界がどんどん広がっていくのを感じました。
70カ国以上の仲間と過ごすというのは、そんなに簡単なことではありません。みんなそれぞれ強みもあれば弱みもある。意見が食い違うこともしょっちゅうです。でも、お互いの共通点を探し、それを大事にしながら授業を一緒に受けたり、サークル活動をしたりする。そこで得た人間理解は、一生ものだと思っています。
せっかく多国籍の学生がいるんだからと、「何カ国の人が同時にサウナに入れるか」というギネス記録に挑戦したこともいい思い出です。2008年11月に学生たちで企画し、57の国と地域からの留学生が参加。見事、ギネス記録を更新しました(注:現在の最高記録は、フィンランドで行われた76カ国・地域)。
APUは、別府の皆さんと交流する機会が多い。別府の町とともに生きている大学なんですよね。キャンパス内に市民の方々に遊びに来てもらうこともありますし、ホームステイで留学生が市内のご家庭に泊まりに行くこともある。僕も、餅ケ浜の10人くらいの大家族のお宅に、週末泊まりに行きました。すっかり家族付き合いしていただき、今でも別府に立ち寄るときは、一緒にごはんを食べたり、観光したりと、ご縁が続いています。
アルバイトも別府の町中でするので、別府の皆さんとの交流がより深まりました。そこで日本文化や日本語を覚えていったことも大きいです。
ホテルでアルバイトをしていたのですが、働く上で人と人の距離感が近いというのが発見でした。ルーマニアを含む西洋文化では、individual、個として立つことが重んじられます。でも、日本ではお互いに支えながら、成長を助け合う文化があるんですね。
そうそう、アルバイトでもう1つ大きな学びを得ました。それは、「コマネチ」。
ホテルで働き始めて数日した頃、同僚のおじいちゃんたちに僕がルーマニア出身だと話すなり、「コマネチ!!」と言いながら、足の付け根に沿って両手をV字に何度も動かしました。
ポカーンです(笑)。
何してるんだ、おじいちゃん。
いや、体操選手のナディア・コマネチのことはもちろん知っていましたよ。でも、彼女が日本でこんな有名なネタになっているとは知らなかった。
ええ、今では、すっかり僕の宴会持ちネタです(笑)。
僕にとってAPUは"家"ですね。学生同士も"家族"みたいな存在ですし、キャリアセンターやスチューデントオフィスの職員も、愛をもって叱ってくれたのを覚えています。卒業生も、ふらっとAPUに帰ってきては、仕事の話をしてくれる、兄や姉のような存在です。卒業してからもう6年経ちますが、APU、そして別府は特別な存在です。
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田舎で世界を学べば、 「和の心」を持った国際人になります |
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「アジア太平洋」を丸ごとキャンパスに そこから未来のリーダーを輩出していく |
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APUは日本の中の「世界」でした
だからイノベーションが生まれ続けるんです |
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ため池にクヌギ林にシイタケにサンショウウオ! APUパワーで、大分・国東半島を世界農業遺産へ | |
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