大分県企画振興部
国際政策課 海外戦略班 主任(取材当時)
大分県大阪事務所 主任(現在は京都大学公共政策大学院研修派遣中)
猿渡崇人さん

猿渡崇人さんは、2000年の開学と同時に入学したAPUの第1期生です。いわば、今のAPUの「キャラづくり」を担った1人です。そんな起業家精神あふれる猿渡さんは、卒業後、コンサルティング会社を経て、現在大分県庁に勤めています。なぜ、あえて役人になったのか?APU時代に培ったネットワークとゼロから何かを生み出す経験を生かし、大分県を世界とつなげて、地域貢献をしたい。現在、猿渡さんは、APUの現役留学生に大分県のCMを現地語でつくってもらったり、海外に大分の魅力を発信する仕事を、これまたAPUのネットワークを生かしながら、進めています。型破りの県庁職員、猿渡さんの野望は「九州府知事」。なぜ?
高校は熊本の済々黌高等学校というところに通っていました。地元では文武両道の進学校で、成績上位者は「東京大学を目指す」のが当たり前。でも、僕は落ちこぼれでバンド活動三昧でした。そこで出会った人に影響され「勉強できるより、面白いやつになろう」と思うようになりました。
そこで出会ったのがAPUでした。
「面白いやつ」になるには、面白い環境で面白い経験をすることが必要だ。今さら偏差値も上がらないし。そう考えて、海外の大学も含めて調べていたら、立命館が大分県に留学生を50ヵ国以上から集める国際大学を新設する、というニュースを知ったのです。
さっそくパンフレットを取り寄せました。ちょっと笑っちゃいました。だって、まだこの世にない「理想の大学」の「絵」が描かれていたからです。建物の写真すらないのです。
高校の先生のアドバイスは「そんな得体の知れない大学に行くなら、浪人して熊本大学に行け」。
でもこの時点で、僕の頭の中には、まだこの世に存在しないAPUという大学のことしかありませんでした。今までにない大学をつくるというチャレンジ精神に引かれたのです。
かくして、僕は2000年、APUに入学しました。そう、第1期生です。
4月の入学直後は、広いキャンパスにたった700人の1回生だけ。閑散としていて、霧が出ると寂しいことこの上ない。みんなカフェテリアに集まって自分の国の話などを少しずつしながら、親交を深めました。中国、韓国、インドネシア、ベトナム、欧州、アメリカ……人数は少ないけれど、出身国の多様性は今とさして変わりありません。現在のAPUをぎゅっと凝縮したような雰囲気。そこからは強い仲間意識が生まれました。
新設校にわざわざ入学してくるのは、ある意味で「確信犯」ばかり。第1期生自ら「APUらしさ」を創っていこう。お手本がゼロだからこそ「自分たちの大学」を形にしよう。世界に向けてAPUの存在を情報発信しよう。そんな思いをみんなで共有していたんです。
じゃあ、最初に何をしたかというと、「勉強」です。高校時代、落ちこぼれで勉強が苦手だったのになんとも皮肉な話ですが。
授業は必ず一番前の席で聞いて、必ず質問するようにしました。
学生にできることは、これしかないと思ったからです。
先生に頼まれたことをなんでも引き受けていたら、3回生のとき「世界学生サミット」というAPU開学以来、最も大きなイベントの実行委員長に選ばれました。ハーバードからオックスフォードまで世界の一流大学の学生に来てもらい、人間の安全保障と持続可能な開発をメインテーマに、若者の役割は何かを議論し合ったんです。さらに議論の内容をまとめて国連に共同声明を送りました。
実行委員会メンバー100人のうち、半数が留学生です。共通言語は英語だし、時間の感覚や仕事の進め方に対する感覚が出身国によってまったく違う。とにかく最初は、メンバーをまとめあげるだけで四苦八苦。気づいたのは日本流の「あ・うん」の呼吸では動かない、ってこと。どうすればいいだろう? そうだ「契約」だ。世界共通の言語は「契約書」だ。ちゃんと仕事の「契約書」をつくって、みんなを動かそう。かくして、ミーティングの場でプチ契約書をつくって、メンバーと契約を結びました。これで、うまく仕事が動き始めた。忘れられない思い出です。
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田舎で世界を学べば、 「和の心」を持った国際人になります |
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「アジア太平洋」を丸ごとキャンパスに そこから未来のリーダーを輩出していく |
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APUは日本の中の「世界」でした
だからイノベーションが生まれ続けるんです |
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ため池にクヌギ林にシイタケにサンショウウオ! APUパワーで、大分・国東半島を世界農業遺産へ | |
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