医者の道捨て、日本へ
財閥から世界企業そしてベンチャ―へ

ジェイビービーシー株式会社
代表取締役 タハミド・モイヌルさん

バングラデシュのトップ大学、ダッカ大学生だったモイヌルさん。もっと広い世界に飛び出したい、日本の成功を学びたい、と選んだのが、別府の温泉街大学APU。4年間で培った、日本文化への理解と、世界に広がる人脈を生かし、日本の財閥系企業の海外事業担当、ドイツのグローバル企業の最年少マネジャーと輝かしいキャリアを積み、今は日本企業のバングラデシュ進出を支援する会社を経営しています。モイヌルさんは、APUでの経験をどのように仕事に活かしてきたのでしょうか。

山の上にある"ミニワールド"で、ぶつかり合いながら異文化を知る

APUに留学する前は、バングラデシュのダッカ大学に在籍していたんです。医学部に進学するのはごく自然な選択でした。そのまま進級すれば、医者として安泰な将来が待っている。でも何かが違うと感じてしまったんです。

医者の仕事はどうしても、医学の道で限定されてしまう。僕は、もっと広い世界に出てみたかった。

じゃあ、いま、最も自由度が高く、世界中で活躍できる職業は何か。

それは、経営者だと思いました。そこで、海外の大学で経営学を学びたいと考えたのです。

海外に留学してみたい。そう父に話したとき、父は日本の大学を薦めてくれました。父はこれまで訪れた国の中で日本が安心安全で一番良かったという印象を持っていたのです。

バングラデシュの留学生は、イギリスやアメリカなど英語が公用語の国の大学に行く人が圧倒的に多い。だからこそ、自分はバングラデシュ人があまり行かない国に行こう、挑戦しようと思いました。そういう意味でも、日本は魅力的だったのです。

では、日本でどの大学に進もうかと考えていた2000年当時、日本で唯一学部生から英語で学べるカリキュラムを持っていたのがAPUでした。しかも、開学したばかり、出来たてほやほやの大学だというじゃないですか。これは面白い! そして、2001年秋に僕はAPUに入学しました。

初めてAPUのキャンパスに足を踏み入れたとき、驚きました。本当に60を超える国・地域の学生が集まっていたからです。まるで、大学の中にぎゅっと全世界が凝縮されているよう。こんなところで学べるなんて!  期待に胸が膨らみました。

APUの授業では、多様な文化環境がフルに生かされていました。

例えば、授業の一つで、ケーススタディをもとにしたグループワークをやるときは、なるべく同じ出身国の者がいないように、多様な留学生と日本人とが混ざったグループに分けるんです。

まったく違う文化的・政治的背景を持った人々が、本音で意見を出し合う。ときには激論を闘わせることもあるし、時にはケンカになることもあります。でも最終的には力を合わせて、ひとつの資料にまとめ上げてプレゼンテーションする。

そんな経験を何回も経て、お互いへの信頼感、お互いの文化への理解が育まれました。

APUでの4年間で身に付けた感覚は、社会人になってからグローバルな環境で働くときに非常に役立っていますね。

各国のさまざまな背景を持つ学生がいると、先生方も全員を納得させるのは難しい。僕たちはAPU初期の学生でしたから、前例がない。どうやって授業を進めるか。どうやって学生をまとめるか。先生方が、一番混乱していたかもしれませんね。

なにかといえば学生たちから「こういう場合はどうなんですか?」「こういう考え方もあるんじゃないですか?」「僕の国ではこうなんです!」と質問・意見が相次いで、授業がなかなか進められないのですから。

あれから15年たった今では、恐らくもっとスマートな授業方法が確立されていると思うのですが、当時の異文化がぶつかり合う熱量が高い授業の雰囲気も、他では経験できないものだったと思います。

APUの留学生は、1年目はみんなAPハウスという寮に住みます。ニューイヤーのカウントダウン、楽しかったなあ。赤と白のチームに分かれて、紅白国際歌合戦をするんですよ。今でも続けられているイベントだと思います。

バーベキューもよくしましたね。僕はイスラム教徒なので、豚肉は食べられません。僕以外にもイスラム教徒の学生がいます。そこで、イスラム教徒じゃない学生たちと鉄板を分けるんです。そこでは、ハラールと呼ばれるイスラム教の流儀で処理した肉と野菜だけを焼く。

APUでは、当時から食堂でもハラールメニューが用意されていました。イスラム教徒の学生でも安心して学べる環境がつくられていたのが、先進的でした。

>> グローバル企業の飛び級制度にチャレンジ。見事、最年少マネージャーに

日本で学んだ「助け合い」を、
祖国ナイジェリアにも伝えたい
  ゼミはまるで国際会議
開発援助の可能性を、よりリアルに議論できます
人と違っているからこそ、面白い
それを教えてくれたのはAPUでした
  APUのネットワークは特別
困ったら絶対に助けてくれる、私も助ける
インドネシア人コミュニティリーダーとして
大分と別府に貢献していきたい
  ものすごく多くのチャンスがあって、自分の可能性を広げられる
それがAPU
入学と同時に「英語」漬けで、APUからポルトガルの大学へ で、分かった。うちの大学のグローバルぶりは世界一!   獣医さん志望だった私が、九州別府の国際大学とタイを往復するようになったわけ
別府のスナックから、新しい町の魅力を発信するプロジェクト、APU学生の「地域創生」、ご期待下さい!   僕が仲間と作った大分県CMと、APUのプロモーションビデオ、日本の皆さん、タイの皆さん、世界の皆さん、見てください
オープンキャンパスでAPUの説明をした高校生が翌年入学してきてくれて、再会したときの喜び、忘れられません   夢は、2020年東京オリンピックの通訳!
笑って、泣いて、日本語に磨きをかけたい
高1のサマーキャンプで一目惚れ
留学生とこんなに距離が近い大学は、他にない
     

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