国際経営学部 4回生
本多秀一郎さん

かくして、1回生の秋に交換留学に応募し、採用されてその1年後の2回生の秋に、ポルトガルの大学に、APUから初派遣という責任を背負って行きました。そうしたら、APUどころか、日本からの留学生を受け入れるのが初めてだったんです、その大学。まだみんなが行ったことがないところに行きたかった僕には、うってつけの留学先でした。
しかも当時、ヨーロッパの経済危機が起きていたんですよね。ギリシャが破綻する寸前で、ポルトガルも危ないと言われていました。でも、歴史を振り返ると、ポルトガルって世界一周を最初に成し遂げた国じゃないですか。だから、これから再びがんばるんじゃないかなって、逆に興味をもったんです。
留学して初めの数日は、新しいことばかりで楽しかった。でも、やっぱリ6000人弱の大学で日本人1人だと、だんだん浮いてしまうことに気付きました。それにみんなにポルトガル語で喋られちゃうと全然話についていけないんです。
シェアメイトとW杯観戦後パブリックビューイングにて
Jardim de S.Pedro de Alcântara にて友人たちと
課題の仕事量も少なく割り振られて、「やっておくから大丈夫」と言われてしまう。気を使ってもらってるのかもしれないけど、僕はそれじゃあ不満だった。
だから、授業で思いっきり発言するようにしたんです。日本のことを先生に聞かれたら、聞かれている以上のことをしっかり説明する。グループワークでも、人一倍働く。そうしていくうちに、あいつ、意外とできるんだなって思われるようにしました。
そうしたらだんだん、仲間意識が芽生えてきて、グループワークでの役割も増えてきました。
APUの英語授業になじむためにやったことが、ポルトガルの大学でも使えたんです。世界のどこへ行っても同じだと感じました。グローバルスタンダードとしては、自分のバリューを出さなきゃ、どんな場面でも認められない。それを実感しました。
APUに入学したことで、僕の人生は大きく変わりました。
人が変わる方法は3つしかない、という大前研一さんの言葉があります。
「時間配分を変えること」「住むところを変えること」「付き合う人を変えること」。
これを、APUに来て僕はいっぺんにやった。おかげで一皮むけました。
就職先がグローバルじゃないといけないとは、思っていません。海外もチャンスがあれば行きたいけれど、とりあえず日本で仕事のトレーニングを積みたいと思っています。
どこの国に行くかというよりも、どんなビジネスで誰と働くか、を重視して勤務先を決めたいですね。
将来は、社会人としての収入を学生の奨学金として社会に還元したいと考えてます。
APUからも奨学金をいただいて、留学していたときも国から返還不要の奨学金をいただきました。両親には大学の学費を払ってもらっている。高校の時は感じなかった「生かされている」感じがすごくするんです。だから社会に恩返ししていきたいですね。
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田舎で世界を学べば、 「和の心」を持った国際人になります |
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「アジア太平洋」を丸ごとキャンパスに そこから未来のリーダーを輩出していく |
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APUは日本の中の「世界」でした
だからイノベーションが生まれ続けるんです |
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ため池にクヌギ林にシイタケにサンショウウオ! APUパワーで、大分・国東半島を世界農業遺産へ | |
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