ため池にクヌギ林にシイタケにサンショウウオ!
APUパワーで、大分・国東半島を世界農業遺産へ

APU アジア太平洋学部准教授
ヴァファダーリ・メッヘリージ・カゼムさん

外から人を呼び込む仕組みをつくる

地域が活性化するには、いろんな形で外から人がやって来る仕組みをつくることも大切です。APUのような学校もそうですし、アクティビティを用意して、都会から観光客を呼び込むことも大事。

例えば、国東半島は、神仏習合の文化があり、天台宗の僧侶の修行の場でもあります。協議会がその道を整備しつつ、世界農業遺産が見えるコースを継ぎ足して、総延長約150キロのトレッキングコースをつくりました。

2013年2月24日、国際連合食糧農業機関(FAO)の科学委員会代表者らによる大分県国東地域 
世界農業遺産登録に向けた公式視察が行われた際の様子

2013年2月24日、国東地域の世界農業遺産登録に向けたプレゼンテーションの様子
(話しているのは林会長とカゼム先生)

ここを歩けば、お寺を見たり、山に登ったり、ため池やシイタケ栽培を見ることができます。

独特な国東のシイタケ栽培

シイタケ農家 平本氏

クヌギの森も、ため池の水も農家が管理

シイタケ栽培には適度な陰、適度な空気の流れ、適度な湿気、適度な水が必要です。だから、普通は杉やヒノキ林の下でやるんですが、国東では、クヌギの森で行います。

クヌギは、切り株から自然に芽が出て再生し、15年ほどでシイタケの原木に適した大きさに育ちます。再生が早いし、芽を適正数に間引き、下草刈りをしておけば、自然に森が再生されるのです。

東北などでもシイタケを栽培しますが、東北では、シイタケの生産者と森の管理者は別です。山の人は山に入って木を切って売ったりしますが、シイタケをつくる人は別にいます。

それに比べて国東では、シイタケ農家が森の管理もする。シイタケと米と一緒につくるから、もちろん水の管理も自分たちでやります。少ない水を分け合って使うために、みんなで話し合って、不公平がないように管理しています。

2013年2月、カゼム先生が国際連合食糧農業機関(FAO)の訪問団の
代表者を国東半島にあるシイタケ農園に案内する様子

国東の農業を後世に伝えたい

シイタケ栽培は、まず適当な大きさに育ったクヌギの原木を伐採して1~1.2mの長さに切り、シイタケの菌糸が入った種駒を植え付けます。

昔はくさびを打ち込んで、それを抜いた拍子に種駒を打ち込むという作業を一つひとつ手作業で行っていました。なかなかの重労働でしたが、今は電気ドリルを使うのでかなり楽になりました。

収穫までは、丸2年間かかります。

農家の高齢化も進み、後継者不足もあって環境は厳しいですが、世界農業遺産に登録されたことで、国東の農業がいい形で残ってほしいですね。

国東の素晴らしい農業の営みを、次世代へとつなぐ

金沢にいたころからAPUにはビジティングプロフェッサー(客員教授)として週1回来ていましたが、行ったり来たりは大変ですから、金沢をやめてAPUに戻りました。

最初は経済学を専攻していたのですが、旅行業界に興味を持ち、ツーリズムに移行しました。金沢大学にいたときは、里山里海のエコツーリズムの推進をテーマにしていました。

APUのアジア太平洋学部(APS)には、国際基準のホスピタリティを学び、ツーリズム(観光)を通した地域発展を考える観光学の授業があります。まさに、国東半島の世界農業遺産活動や実践例を授業に組み込むことで、多くの実体験にもとづく学びが、将来の地域発展につながると考えています。

そこで、学生にはコミュニティーと協力して現地での活動に参加するだけでなく、この国東半島で世界農業遺産の取り組みに関わる人々に授業にお越しいただき、講演していただくなど、実践的な学習をさせています。

世界農業遺産の事例を授業に組み込んで3年目になります。当初、学生はそんなに興味ないだろうと思っていましたが、毎回200人以上の学生が集まっています。日本人と留学生が、だいたい半々です。

最近の若い人は社会貢献に興味を持つ人が増えていますが、こういう日本の田舎の情報に接することは難しい。また、地元の別府や大分について知らないことも多い。だから、情報を伝えることが大切だと思っています。

今後より多くの学生が、田舎の生活を選び、田舎ならではのビジネスや仕事を発見し創りだしてくれることを願っています。そして、自分の生活をモデルケースとして世の中に発信してもらいたい。私は、そのような学生がいれば、全力でサポートするつもりです。

七島藺のように、国東にしかない、ここで守らないとなくなってしまう自然や人々の営みの素晴らしさを知り、ぜひ次世代につなげてほしい。

世界農業遺産を弾みとし、ブランディングを進める七島藺

七島藺農家 松原氏

国東にのみ残る伝統作物七島藺

私が七島藺を始めたのは、22~3年前です。昭和35年ごろまでは、大分県の主力産業でしたが、すっかり衰退して、今は国東にしか残っていません。栽培農家の数も、4~5年前に5戸まで減りました。今は少し増えて、7戸、2法人になっています。

なぜこんなに減ったかというと、やはり仕事が大変なんです。例えば植え付けた七島藺は、地下茎を地中に張り巡らせます。収穫後も地下茎は生きていて、翌年の春新芽が出たあと、こんがらがっている地下茎を掘り出し、ほぐして株分けしてまた植えるんです。一つひとつ形や大きさが違うから機械化が難しく、どうしても手がかかります。

ですから、特に大変な植え付けと収穫は、集落全体で協力し合ってやっていこうとしています。

高級畳としてブランド化が進む

七島藺でつくる畳表は、一般的なイグサに比べて5~6倍の強さを持ち、耐焦性も2倍以上あることが分かっています(※)。曲げたりしても畳が傷つかないので、正方形の縁なしの畳になります。関東では琉球畳と呼ばれていますが、すべて豊後産です。

最近は、国産を指定してくれる人が増えていると感じています。本当にいいものなら、少々高くても、時間がかかっても買ってくれる。

七島藺も、少しずつ名前が出るようになって、ブランディングができ始めています。高級商材として知られ始めており、供給が足りない状態ですね。

これからは、世界農業遺産をさらに前面に出して、地域限定の認証ブランドとして、もっとアピールしていきたいですね。
※いずれも大分県工業試験場(現・大分県産業科学センター)での試験結果による

日本の地方には、多くの宝が眠っています。しかし、その宝は内部の目で見るだけではなかなか発掘できません。その地域の人々にとっては、それは往々にして、単なる過去の遺物や日常としか映らないからです。私のように、外からやって来た人がその宝を発掘し、世界標準の審美眼を持つ専門家たちが指摘して、初めてその価値が輝いて見え、地域の人もその価値を見直すことができるようになるのだと思います。

私の活動は、大学のある別府市にとどまらず、大分県内で各地域の方々と協働することで、新しい地元の魅力を発見しそれを生かすことです。また、地域の人々や自治体が元気になることや、学生が地元を知ることで地元の人たちもAPUのことを知り、大学と地域が交流するきっかけを作る。そこから、新しいムーブメントを生み出す。地域が持続可能な発展に向けた取り組みをすることが重要だと思います。

私がAPUで教鞭を執り研究活動に勤しむのは、学生への教育だけでなく、地元の人とのつながり、そして外から来た人を温かく受け入れる風土のある大分が好きだからです。

日本で学んだ「助け合い」を、
祖国ナイジェリアにも伝えたい
  ゼミはまるで国際会議
開発援助の可能性を、よりリアルに議論できます
人と違っているからこそ、面白い
それを教えてくれたのはAPUでした
  APUのネットワークは特別
困ったら絶対に助けてくれる、私も助ける
インドネシア人コミュニティリーダーとして
大分と別府に貢献していきたい
  ものすごく多くのチャンスがあって、自分の可能性を広げられる
それがAPU
入学と同時に「英語」漬けで、APUからポルトガルの大学へ で、分かった。うちの大学のグローバルぶりは世界一!   獣医さん志望だった私が、九州別府の国際大学とタイを往復するようになったわけ
別府のスナックから、新しい町の魅力を発信するプロジェクト、APU学生の「地域創生」、ご期待下さい!   僕が仲間と作った大分県CMと、APUのプロモーションビデオ、日本の皆さん、タイの皆さん、世界の皆さん、見てください
オープンキャンパスでAPUの説明をした高校生が翌年入学してきてくれて、再会したときの喜び、忘れられません   夢は、2020年東京オリンピックの通訳!
笑って、泣いて、日本語に磨きをかけたい
高1のサマーキャンプで一目惚れ
留学生とこんなに距離が近い大学は、他にない
     

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