APU アジア太平洋学部長 轟博志さん

THPの主任を4年間担当する中で、一番重視したのは地域連携です。
APUは大分県と別府市の支援のもとにできた大学。研究成果を地域に還元することは、そもそもの使命でした。開学当初から、教員や職員、学生によって地域連携は進めてきました。ただそれが、ゼミやサークル、学内のオフィスと、バラバラな場所で行われてきたんです。
それを1つのカリキュラムの体系として、基礎科目からゼミ、卒論まで一貫して学べるプログラムにするのが、THPの試みでした。
ではどんなことをやったのか。1つは、「泉都観光ルネサンス・プログラム」として、泉都・別府を振興する知識と実践を体系的に身に付けられる正規課程をつくりました。
別府はもともと、修学旅行や新婚旅行で団体旅行客がどっと集まる観光都市でした。それが、個人旅行にシフトするにつれて、少しずつ廃れてきてしまっていた。それを、学生の力で復興させるプログラムです。
1年次には「別府学入門」という授業が取れます。ここでは別府で起業した方やNPO活動をしている方など、さまざまなゲスト講師を呼んで、話を伺います。
それが終わったら「別府学実践」という授業を取り、そこで得た知識をもとに別府の町に出ていきます。地域調査をし、問題点を解決していくのです。例えば、もっと外国人に住みよい町にするにはどうすればいいのか、といったことをテーマに考えていきます。その上には演習系の科目があり、最後は卒業論文を仕上げます。
また、私のゼミでは日出(ひじ)、中津、宇佐、豊後大野(ぶんごおおの)といった大分県の別府以外のさまざまな地域に出ていき、地域と共同で学習をしています。
例えば、テーマの1つは日田往還。日田市から中津市を結ぶ道は日田往還と呼ばれ、かつては文化人や商人が盛んに往来していました。今でも林の中には、当時使われていた石坂や石畳道などが残っています。
私は、韓国で古道の研究をしていたので、道の復元手法を知っています。まずはそれを使って、道が実際どう通っていたのかを地積図のレベルで明らかにし、地図をつくるのです。
そこからは、学生が考える番です。地元の人と一緒に、その道でなにができるか企画していきます。例えば、かつて宿場町があったところが今はシャッター街になってしまっている。では、そこに昔は何のお店があったのかを調べて、それを再現しよう。これは実際、お祭りとして実現しました。
昔下駄屋だったところは靴屋に、呉服屋だったところではセカンドハンドの服屋に、酒屋だったところはバーに。また、旅籠(はたご)だった建物は学生が中居をして宿として復活させたりしました。当日は、地元や近隣の町から人がたくさん集まり、大いににぎわいました。
別府は、温泉という観光資源があるだけ恵まれているんです。観光地化のプロジェクトとしては初級編。ほとんどの地方の町は、ブランドになるようなものがすぐには思い浮かばないものです。
でも、地元の人に話を聞き、歴史を調べてみれば、ざくざくネタが出てきます。視点を変えてじっくり見てみれば、ブランディングのできない町なんかないのです。
観光学を学んだからには、一見目玉になりそうなものが分からない上級編の町のブランディングにチャレンジしてほしい。そういう町こそ、学ぶ価値があります。
私はこの2015年4月からアジア太平洋学部=APSの学部長になりました。APUに来る前は、「アジア太平洋学部」という名前を見て、「アジア太平洋学」という学問体系があると考えていたんです。でも、入ってみるとそうではないことに気づいた。
アジア太平洋に存在する諸問題を解決するための、さまざまなディシプリン(専門分野)がすべて詰まっている学部が、アジア太平洋学部(APS)なんです。
そもそもAPUは、これからのアジア太平洋地域の発展を担うリーダーを育てるためにつくられました。アジア太平洋学という学問は、諸問題を解決するためのツールになります。
アジア太平洋地域における歴史問題、政治問題、環境問題、貧困問題、平和問題、そういったものの解決の手段、考え方を4年間でつかみとってほしいのです。
APMはマネジメントに特化していますよね。APSのほうは、学部自体が1つの総合大学みたいなものです。私が地理学を専門としているように、他の先生も歴史学、社会学、人類学、心理学、国際関係学など、さまざまな専門分野を持っています。
APSにはもう1つ、地域の軸があります。中国、マレーシア、インドネシア、中東、イスラム、ヨーロッパ、ロシアなど、たくさんの地域の研究が行われています。私の専門で言えば、韓国です。全地球的に研究している先生もいますが、それぞれの先生が地域の軸を持っているんです。
また、先生方のキャリアもさまざまです。アカデミックの世界で研究者としてやってきた人もいれば、ビジネスの経験を経て教員になった方もいます。
こうした専攻の軸、地域の軸、キャリアの軸が、X、Y、Zの軸となって広がっています。つまり3次元なんですね。その3次元空間のどこかに、きっと学生の学びたいテーマがあるんです。
どんなキャリアを目指すのか、どんな研究をするのか、どの地域のスペシャリストになりたいのか。学生が潜在的に持っている希望を、APSの教員は必ず受け止められます。そして、オーダーメイドで「だったら、ここではこんなことが学べるよ」と提示できるのです。
日本人の入学志望者相手に入試の面接をしていると、APSに入りたい動機は本当に多種多様であることがよく感じられます。
国際社会の中で日本のプレゼンスを上げたいという明確な意志を持っている学生もいれば、日本がまだアジア太平洋の中でどういう位置付けになるべきか分からないので、それを大学で学び取っていきたいという学生もいます。
一方、海外からやって来る留学生は、環境・開発、観光学、国際関係、文化・社会・メディアという4つの学習分野の何を学びたいのか、入学時点ではっきり決めている人が多いですね。多くの学生が、将来何になりたいのか、入学当初からゴールを見据えています。
APUでは学生の半数が留学生なので、ゼミでは基本的に英語と日本語を併用しています。週替わりで言語を切り替えているところもあります。英語のゼミでも、日本についての関心が高まるようにするのは基本です。
そんな中私のゼミは、唯一の日本語で授業を行うゼミなのですが、英語はできるけど日本語はままならない留学生も、ゼミ生として入ってきます。彼らに英語で質問されたら、私は日本語で返答する。ゼミに2年も所属すれば、留学生たちは日英両言語が使いこなせるようになります。
APU では、そしてアジア太平洋学部では、さらにどんな大学像を目指していくのか?
私たちは「APU2030ビジョン」を策定しました。これから15年後のさらなる飛躍を目指し、2030年のAPUのあるべき姿を描いたのです。
そこで描いた夢は大きいです。
別府を飛び出して、アジア太平洋全地域を、世界を、APUのキャンパスにしてしまおう!
これが目標です。
これまでAPUは、アジア太平洋のすべての国・地域から学生を受け入れることを目指していました。今後はさらに一歩進んで、別府キャンパスに軸足を置きつつも、アジア太平洋全体に、学生がどんどん散らばって、現地で生きた勉強をしながらネットワークを形成していく教育形態を実現する。
具体的には、各国の大学と連携し、単位の交換やカリキュラムの共有を自由に行えるようにする。
そうなると、将来のAPUの学生は、常時別府キャンパスにいなければいけないということはありません。軸足は別府キャンパスに置きつつも、アジア太平洋のどこかの大学で授業を受けたり、どこかの現場でフィールドワークをしたり、どこかの企業でインターンをやったり、卒論を書いたりしている。
そういう大学にしていきたいんです。
そのために各国に置いた海外オフィスをさらに活用しようと考えています。また、ダブルディグリーで単位が取れる協定校も全アジア太平洋に広げていこうとしています。
このビジョンが実現すれば、先ほど申し上げましたように、アジア太平洋そのものがAPUのキャンパスになります。そこから世界をリードし、変えていくことができる卒業生を輩出し、世界中にAPUの輪が広がっていくはずです。
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田舎で世界を学べば、 「和の心」を持った国際人になります |
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「アジア太平洋」を丸ごとキャンパスに そこから未来のリーダーを輩出していく |
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APUは日本の中の「世界」でした
だからイノベーションが生まれ続けるんです |
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ため池にクヌギ林にシイタケにサンショウウオ! APUパワーで、大分・国東半島を世界農業遺産へ | |
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