ホップの産地・遠野のビール産業に学ぶ! 農業ビジネス立上げ時のポイント“想いを形に”

~生産者・メーカー・JAグループの連携が生み出す付加価値に迫る

日本における有数のホップ産地である岩手県遠野市で旗揚げした農業法人 BEER EXPERIENCE株式会社。同社は、キリン株式会社の経営参画や販売支援、農林中央金庫、JAいわて花巻、JA岩手県信連の事業化サポートの下、新たなビール産業創出を目指した農業ビジネスを立ち上げた。夫婦二人で始めた小さな農園が、日本を代表する食品企業やJAグループとコラボレーションし、地域創生にもつながる大規模事業を目指すことになったのだ。それを可能にしたものとはいったい何か?新しい時代に対応した農業ビジネスの創出要因を考察する。

脱サラして起業した遠野の農園にキリンと農林中央金庫が2.5億円を出資

 2018年8月6日、東京都内でプレス発表会が開かれた。岩手県の遠野市でホップを栽培する農業法人に、キリン株式会社と農林中央金庫が合わせて2.5億円を出資、共同で事業を進めるというものだ。単純に考えれば、資金力のある企業が、ベンチャーキャピタル的に投資をしたようにも思えるが、実際はどうだろうか?

BEER EXPERIENCE株式会社 代表取締役社長 吉田敦史氏(生産部部長/経理総務部 兼務)
BEER EXPERIENCE株式会社 代表取締役社長 吉田敦史氏(生産部部長/経理総務部 兼務)

 BEER EXPERIENCE社の社長となった吉田敦史氏はビジネスマン出身の新規就農組だ。2008年に東京の広告代理店勤務から一転、妻の実家がある遠野に移住して農業を開始。「他者が作っていない競争力のある作物」として、スペインの居酒屋でタパスとして親しまれているシシトウに似た茄子科の『パドロン』に着目し、「ビールのおつまみ野菜」として夫婦二人で栽培を始めた。

 「オンリーワンの強みを持った作物で『最終消費者の顔が見える農業』を目指しました。私以外に生産者がいない『パドロン』ならば、例えば飲食店経由であっても、消費者の意見として、その反応を聞くことができると考えたのです」(吉田氏)

パドロンは見た目がシシトウに似ている。フリットにすると大変美味しいおつまみになる
パドロンは見た目がシシトウに似ている。フリットにすると大変美味しいおつまみになる

キリンのビジネスの本流につながるホップ栽培にかけた吉田氏の情熱

 最初の接点は吉田氏とキリンの出会いだ。就農して5年を経た2013年、吉田氏はキリンの『東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクト』に参加する。「旧来自治体などが実施してきた座学がメインの研修と違って、農業の事業プロジェクト形成やその進捗管理などが実戦的に学べる点が魅力」と感じたという。

キリン株式会社 CSV戦略部 絆づくり推進室 バリューチェーンチーム 主務 浅井隆平氏(BEER EXPERIENCE株式会社 取締役副社長/営業部部長 兼務)
キリン株式会社 CSV戦略部 絆づくり推進室 バリューチェーンチーム 主務 浅井隆平氏(BEER EXPERIENCE株式会社 取締役副社長/営業部部長 兼務)

 キリンとの絆がさらに深まった2014年、吉田氏は「食とビールで遠野を元気にしていきたい」という強い想いから、同プロジェクトに参加していたキリンのCSV戦略部 絆づくり推進室 バリューチェーンチーム 主務 浅井隆平氏に対し、「ホップ栽培にも着手したい」と相談を持ちかけた。当初浅井氏は、『パドロン』と『ホップ』の二股耕作は負荷が大きいのではないかと反対したと語る。

 「しかし、吉田さんの並みならぬ本気度がひしひしと伝わってきました。『パドロン』のサポートは復興支援の一環としてのCSR的な側面が強かったのですが、これに対してホップは、当社のビジネスの本流であるビール造りの根幹をなす作物です。この事業は、当社が提唱するCSV(Creating Shared Value)のモデルケースになる、と確信しました」(浅井氏)

ホップ畑に立つ浅井氏と吉田氏。身の丈の倍以上もあるホップの収穫には大きな機械化投資が必須だ
ホップ畑に立つ浅井氏と吉田氏。身の丈の倍以上もあるホップの収穫には大きな機械化投資が必須だ

 こうして吉田氏は2015年からホップ栽培を開始。2017年6月には、キリン本社に対して、パドロンとホップを核とした農業法人設立に関する事業計画を提出した。しかし、金融のプロフェッショナルではない吉田氏が、事業環境分析や収支計画、販売計画など広範囲に目を配った事業計画を作成するのは極めてハードルが高かった。その報告書からは、事業の可能性や実現性が見えにくかったのも、無理からぬことだった。

 プロジェクトが最終的に事業化に成功したのは、農業ビジネス立ち上げに不可欠な3要素、『事業計画策定』『資金調達』『販路の確保』を着実に推し進めた結果だ。その裏側には、技術力を持った生産者、販売・マーケティング網を持ったメーカー、農業と金融のノウハウを兼ね備えたバンカーであるJAグループのコラボレーションが存在した。その経緯を見ていきたい。

BEER EXPERIENCE/キリン/JAグループの3者が事業の立ち上げにそれぞれ重要な役割を果たした
BEER EXPERIENCE/キリン/JAグループの3者が事業の立ち上げにそれぞれ重要な役割を果たした

金融プロフェッショナルの視点から確度の高い事業計画策定を支援

 2017年9月、事業計画を完全なものに磨き上げるために、以前から金融取引などを介してキリンHDの財務部門と協調体勢を取ってきた存在であり、農業とビジネスの複眼を持った金融のプロフェッショナルである農林中央金庫と連携することが決まった。

農林中央金庫 食農法人営業本部 営業第四部 第二班 鬼丸純一氏
農林中央金庫 食農法人営業本部 営業第四部 第二班 鬼丸純一氏

 事業化の支援を担った農林中央金庫 営業第四部 第二班 鬼丸純一氏は「プレゼンテーション資料のまとめ方や最終消費者に向けられたマーケティング的な視点など、さすがに広告代理店出身だと感心した」と吉田氏の手腕を評価する。一方、事業計画の詳細に関しては、やはり金融のプロフェッショナルの視点が必要だったと振り返る。

 「財務諸表の見方や金融用語の理解に始まり、年次を追った収穫量の読みや、そこから割り出される収益性、リスクの考え方、さらに投資総額の設定やその調達方法を含め、外部に提出して納得してもらえる事業計画書としての課題は山積でした。それらをひとつずつクリアしながら、吉田さんとキリン、私たちが膝詰めでプランを練り上げていきました。そして事業を単年度で捉えるのではなく、10年スパンで検証する姿勢を重視しました」(鬼丸氏)

 “生き物”である事業計画は、プランの進捗だけでなく、金利や市場などの外部環境によって高頻度で変更を余儀なくされる。農林中央金庫は、各種補助金の適用範囲や申請時期などの切り分け、申請金額の設定と妥当性などについても、複数のシナリオを用意することで万全を期した。

 吉田氏はその対応について次のように振り返る。「農業経営とそれを取り巻く環境を熟知し、これまで多くの事例の中で知見を積み重ねてきた農業金融機関ならではの強さを改めて実感しました。私自身はトラクターの購入でローンを組んだ以外、これまで無借入経営を続けてきました。法人化に伴って、経験したことのない億単位の出資を受けることに対する怖さは相当なものがありました。しかし、農林中央金庫のきめ細かなフォローや的確なアドバイスのおかげで、そうした不安も徐々に払拭されていったのです」(吉田氏)