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2024.03.18
文=茂木俊輔
JAみな穂がコメの輸出を始めたのは2009年度のことだ。いまでこそコメを輸出する産地は数多いが、当時はまだ少数派だった。しかも為替相場は円安。輸出には決して有利とは言えない時期である。なぜ、海外展開に踏み切ったのか。
きっかけは、JAみな穂の本店と同じ富山県入善町に本社工場を置く包装米飯メーカー、「ウーケ」からの連携申し入れである。

同社は国内最大手のコメ卸である「神明」のグループ会社。2009年2月に地元産米を原料に包装米飯の生産を始めていた。「自社グループの海外展開に併せて、輸出用米の生産を持ち掛けてきました」。JAみな穂代表理事組合長の細田勝二氏は振り返る。
コメ農家の所得をどう向上させていくか、細田氏は頭を悩ませていた。人口減や消費減を背景にコメの需要量は落ち込む一方。減少量は全国で年間10万t規模にも及ぶ。国は米価の維持を図ろうと生産調整に向けた転作を促す。とはいえ別の作物に転換しようにも、北陸のような雪国では限られる。何で稼いでいけばいいのか――。
例えば転作田では、大豆の生産にも取り組む。しかし作物を変えると新たな設備投資を迫られる。「農機具の追加投資は2000万円では納まりません」と細田氏。コメづくりに用いる農機具の稼働率を下げたままでは農家経営は成り立たないという。
マメ科やイネ科の地力増進作物に転作し、その土づくりを通して別作物に転換していくことに、国は手厚い交付金を通じて奨励する。その路線に簡単には乗れなかった。「地力増進作物では果実がない。つまり売り上げが厳しいままです。これではやはり農家経営は苦しい」。これという決め手がなかなか見付からないのが実情だった。
そこに持ち掛けられたのが輸出用米の生産である。品種は主食用米と同じ「コシヒカリ」。手持ちの農機具を活用し、これまで通りに生産できる。それでいて米粉用米や飼料用米と並ぶ新規需要米という位置付け。転作田でも生産は可能だ。コメ農家の仕事はやはり人が食すコメをつくること。輸出用米の生産は、この上ない選択肢だ。
最大の課題は販路開拓である。「販売展開は、そう簡単ではない」。細田氏も課題は十分に認識していたが、手をこまねいていてはコメ農家の所得は改善しない。地域の将来を考え、神明グループ側の提案に乗ることを決める。
JAみな穂が海外市場に直接持ち込むわけではない。輸出用米はJA全農を介して玄米のまま全量を神明に納め、同社で精米後に輸出する。在庫リスクは神明グループで負うことになるが、そこは事業パートナーという間柄だ。現実に過剰在庫が生じる事態になれば、JAみな穂も奔走する。

細田氏はきっぱりと言い切る。「私たちも神明グループも最終的には海外市場でコメが売れないと意味がありません。コメの輸出事業に関する互いの方向性は一致しています。コメを納めて終わりでなく、一緒に取り組んでいこうという姿勢です」。
神明グループとの二人三脚による販路開拓が、ここから始まる。
まずは欧州で開催される国際的な食品見本市への出展である。規模の大きさから目を付けたのは、ドイツのケルンやフランスのパリで開催される見本市。会場ではウーケの包装米飯を用いたのり巻きを振る舞い、地元産「コシヒカリ」の宣伝に努めた。
「日本食ブームもあって『おいしい!』と多くの反響がありました。ただ、『このコメはどこで買えばいいの?』と聞かれると困りましたよ。当時はまだ、販売している店舗がどこにもなかったんですから」と細田氏は苦笑する。

見本市の期間中、午前はセミナーも開催。例えば東京・日本橋のだし素材専門店である「八木長本店」と組み、日本食をテーマに講演する。午後は今後の販売拠点になりそうな場所を求めて街中を歩き回る。こうした地道な活動を続けても、当初の輸出数量は年間20t程度にすぎなかった。
販路開拓の活動を始めてから4年目を迎えると「このままでは輸出事業を前に進めることができない」とばかりに次の一手を繰り出す。ターゲットの絞り込みだ。海外在住の日本人向け量販店から販路を広げていく戦術を取り始める。販路が確立されれば、現地の消費者の間にも自ずと広がっていくという読みだ。