原産地消滅の危機を救え!

伝統野菜「日野菜」を地域一体で守る JAグリーン近江

伝統野菜が「産地消滅」の危機に瀕している。伝統野菜は日本固有の遺伝資源だ。食料の多くを輸入に頼る日本にとって、将来の食料自給を考えるうえでも重要な資産となる。550年の歴史を持つ「日野菜(ひのな)」もその1つ。2000年代初頭に生産者が8名まで減り、消滅の危機に直面した。そこから生産者とJA、商工会、自治体が連携し、復活に向けて着実に歩を進めている。伝統野菜「日野菜」をオール日野町で守る活動の最前線を追った。

伝統野菜は「唯一無二」の地域資源

 「持続可能な社会」の追求が世界的な潮流となっている。多くを輸入に頼る日本の食料事情は、持続可能とは言いがたい。今年3月に内閣府食育推進会議が策定した「第4次食育推進基本計画」でも、その重点事項に「持続可能な食を支える食育の推進(社会・環境・文化の視点)」を盛り込んだ。SDGsの観点から連携と協働を訴えている。

 日本の伝統野菜が失われる「産地消滅」の危機は、そうした観点からも憂慮すべき事態だ。伝統野菜は日本固有の遺伝資源であり、日本独自の農法や文化と深いつながりがある。食料自給の観点からも、遺伝子レベルで日本の土壌に適した種は貴重な資産である。

 伝統野菜は大量生産が難しく、市場で扱いづらい商品とされてきた。しかし、見方を変えれば「唯一無二」の地域資源であり、うまく育てれば新たなビジネス機会を生み出す可能性がある。必要とされているのは、ビジネス的な視点から伝統野菜を経営資源として再発見することだ。

 滋賀県蒲生郡日野町鎌掛(かいがけ)を原産とするカブの一種、「日野菜(ひのな)」もそうした伝統野菜の1つだ。室町時代、日野の領主だった蒲生貞秀が鎌掛の山中で発見し、漬物にして後柏原天皇に献上した記録がある。それ以後、種子が550年以上も受け継がれてきた。

伝統野菜「日野菜」は、ぬか漬けやさくら漬けなど、主に漬物として食されてきた
伝統野菜「日野菜」は、ぬか漬けやさくら漬けなど、主に漬物として食されてきた

 江戸時代には近江商人の手で全国に広がり、栽培地が九州、四国、近畿、長野、新潟にまで広がったという。明治から大正時代にかけて品種改良が行われ、曲がっていた日野菜は真っすぐで扱いやすい野菜になった。その原種を守り続けて現在に至るのが日野町だ。

日野菜生産部会 副部会長 寺澤清穂 氏
日野菜生産部会 副部会長 寺澤清穂 氏

 この伝統野菜の意義について、日野菜生産部会副部会長の寺澤清穂氏は「長い年月をかけて土地の風土を遺伝子が吸収し、環境変化や病気、虫などに対抗してきたことです。自然交雑したことで辛みや苦みが加わり、味に深みが増し、多くの人々に支持されてきました」と語る。

 まさに日本の風土と共に生きてきた唯一無二の遺伝資源なのだ。

消滅寸前に「原種を守れ」との声上がる

 日野菜の生産は1940~1950年ごろに最盛期を迎えた。日野町の鎌掛エリアで生産される日野菜は味が良いと評判で、当時の京都市場を席捲した。「日野菜を生産する農家は御殿が建つ」と言われるほど市場競争力があったという。

 ところがその後、食生活の変化や漬物人気の低迷などによって次第に需要が減り、価格も下落した。2000年代に入ると、日野菜の生産者はわずか8名となる。生産者が減った背景には、農業従事者の高齢化や栽培の手間がある。日野菜はデリケートな野菜で、同じ場所で育て続けると連作障害を起こし、収量が減少する。また、種まきや除草、間引き等の手間がかかるうえ、機械化も進みにくかった。

滋賀県 日野町役場 農林課 参事 加納治夫 氏
滋賀県 日野町役場 農林課 参事 加納治夫 氏

 「日野菜が途絶えてしまえば、町振興の望みも消えてしまいます。危機感を感じた人たちから、原種を守りたいという声が上がり始めました」と、日野町役場農林課参事の加納治夫氏は振り返る。

 2005年、まずは種用の日野菜の安定供給を目指して「深山口日野菜原種組合」が設立された。日野菜生産部会の会員が中心となり、荒廃した農地に手を入れて畑を復活させていった。

 当時、日野町では日野菜を守るため、開花時期が重なる菜の花の栽培を禁止していた。その影響で、日野町の小学生が自由研究の題材として菜の花ではなく日野菜を選んだことが衆目を集め、NHKが取り上げて話題となった。そこから日野菜の復活劇が始まる。