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最大の要因は、需要に見合う商品の供給にある。販売を担うJAと生産者を束ねる部会の連携が、それを実現した。
出荷先は、各地の青果市場。関西圏から中京圏・関東圏にまで広がる。だがその先には、個別の量販店が控える。「商談相手は全国10社以上。各市場に中核になる量販店が1~2社です」と井納氏は明かす。
量販店の目線は、売れる商品で売り場をつくれるか、という点に注がれる。果物で言えば、品質の高さはもとより、仕入れの安定性も不可欠だ。
売り場の構成には変化も見られる。都市部で主役を張るのは、一口サイズの詰め合わせや1玉を複数に切り分けたもの。丸ごと1玉はもはや脇役だ。家族構成の変化を背景に、その需要は大幅に減退した。
結果、量販店向けは大玉サイズが喜ばれるようになる。区分としては重さ7㎏台の2Lや同8㎏台の3Lと呼ばれるものだ。「一口サイズに刻むときにムダが生じにくい。糖度が高い傾向にもあります」(井納氏)
量販店に共通の需要は、大玉サイズの安定供給。JAではそこをまず押さえたうえで、販売計画を練る。例年7月末の最終出荷を終えると、主要な量販店との間で翌年に向けた話し合いを持ち、振り返りを基に方針を固める。各市場とのやり取りを経たうえで、出荷時期・数量を市場単位で決めていく。
一方、部会では販売計画を基に逆算する形で生産計画を立案。ハウス栽培や露地栽培の作型ごとに、作付面積、主な品種、定植日、交配日、出荷予定を定める。生産者は、それを横目でにらみながら、生産管理にあたる。
とはいえ、農業は自然相手。例えば交配後に実をつける時期や玉として大きくなる時期は、気候の影響で計画時期からずれることがある。出荷時期のずれが需給バランスを崩すと、販売単価は下がりかねない。柔軟な対応が必須だ。
そこもやはり、JAと部会の連携で乗り切る。
最終的な出荷時期は、部会役員約20人が週2回の試食を経て決める。収穫は開花から40日後という定石はあるが、その時期に品質の高いスイカが出来ているか、実際に食べてみないと分からない。
「見た目、糖度、食感。これらを、役員全員で確かめます。試食を経たうえで、市場側の需要も踏まえながら翌週の出荷量を決めていきます」。太平氏は自らの役割を説く。
これに対してJAでは、その時々で最も有利な条件で売れる市場を選んでいく。「生産者は品質の高い商品をつくることに集中しています。販売を担う立場としてはそれに応えるために、丁寧な売り方を心掛けています」(井納氏)
販売単価は自由競争の中で決まる。影響を与えるのは市況だけではない。売り方の巧拙も間違いなく作用する。「単価を上げていくには、生産者との連携した取り組みが不可欠です」。井納氏は言い切る。
成功の根本を支えてきた、若手に任せる文化は部会運営にも根付く。役員の就任年齢は一般に60代前後が常識。ところがここでは、20~40代が当たり前だ。
太平氏も就農わずか1年目で役員に就任した。「親元に戻って就農した若手の2人が、やはり1年目から同時に役員に就きました。3人とも戸惑いながらも、互いに相談しつつ任務にあたってきました」
苦労は伴うが、役員の経験は技術の向上に結び付く。「就農経験の浅いうちから同年代の仲間と栽培技術について議論を交わせます。課題に直面すれば、相談できる。そうした環境が、技術の底上げに結び付きます」。太平氏は実感を込める。
産地をより良くしたいという責任感も育つ。例えば大玉を失敗なく育てる技術は、役員内で協議して改良を加える。「身内から受け継いだ技術に、さらに磨きを掛けていこう。そんな思いで取り組んでいます」(太平氏)
若手に任せる文化は、若手が引っ張る文化に転化する。産地の外から見た時、この文化には持続可能性を感じさせる。太平氏も、そこは強く意識する。
「60~70代がもう10年続けるというより、20~40代がもう10年続けるというほうが、説得力がある。私たちの世代が産地を支えているので、向こう20年は安定供給し続けられます、と市場にも訴えられます」
課題は、資材費や人件費が高騰する中、コスト増をどこで吸収していくのか。販売単価の上昇に支えられ、販売額は過去最高を記録したが、油断大敵だ。産地に育てられたプロ経営者として、太平氏の手腕が問われる。
将来の望みは、家業を子どもに継ぎたいと言わせること。太平氏はプロ経営者としての矜持を見せる。「自分から継いでくれとは言いたくない。子どもから継ぎたいと言いたくなるような経営状態にしてみせます」
